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好きだ、 Su-ki-da
2005年/日本
監督: 石川寛
出演: 宮崎あおい、西島秀俊、永作博美、瑛太 他
Official cite
Story:
17歳のユウとヨースケ。
お互いが相手に対して好意を持っているにもかかわらず、
「好きだ、」の一言を言えない二人。
二人の感情は、近づき、もつれ、すれちがい、また惹かれ…。
ある哀しい出来事に行き着き、断ち切れてしまう。
それから17年。
34歳のヨースケとユウは東京で偶然に再会する…
……
背中を押される
言いたかった言葉
言えなかった言葉
ちゃんと伝えないとな
映画を好む人には、弱虫が多い。私にしても、心の弱っている時に、ふらと映画館に吸い込まれる。心の猛っている時には、映画なぞ見向きもしない。時間が惜しい。
何をしても不安でならぬ時には、映画館へ飛び込むと、少しホッとする。真暗いので、どんなに助かるかわからない。誰も自分に注意しない。映画館の一隅に坐っている数刻だけは、全く世間と離れている。あんな、いいところは無い。
私は、たいていの映画に泣かされる。必ず泣く、といっても過言では無い。愚作だの、傑作だのと、そんな批判の余裕を持った事が無い。観衆と共に、げらげら笑い、観衆と共に泣くのである。五年前、千葉県船橋の映画館で「新佐渡情話」という時代劇を見たが、ひどく泣いた。あくる朝、目がさめて、その映画を思い出したら、嗚咽が出た。黒川弥太郎、酒井米子、花井蘭子などの芝居であった。翌る朝、思い出して、また泣いたというのは、さすがに、この映画一つだけである。どうせ、批評家に言わせると、大愚作なのだろうが、私は前後不覚に泣いたのである。あれは、よかった。なんという監督の作品だか、一切わからないけれども、あの作品の監督には、今でもお礼を言いたい気持がある。
私は、映画を、ばかにしているのかも知れない。芸術だとは思っていない。おしるこだと思っている。けれども人は、芸術よりも、おしるこに感謝したい時がある。そんな時は、ずいぶん多い。
やはり五年前、船橋に住んでいた頃の事であるが、くるしまぎれに市川まで、何のあてもなく出かけていって、それから懐中の本を売り、そのお金で映画を見た。「兄いもうと」というのを、やっていた。この時も、ひどく泣いた。おもんの泣きながらの抗議が、たまらなく悲しかった。私は大きな声を挙げて泣いた。たまらなくなって便所へ逃げて行った。あれも、よかった。
私は外国映画は、余り好まない。会話が、少しもわからず、さりとて、あの画面の隅にちょいちょい出没する文章を一々読みとる事も至難である。私には、文章をゆっくり調べて読む癖があるので、とても読み切れない。実に、疲れるのである。それに私は、近眼のくせに眼鏡をかけていないので、よほど前の席に坐らないと、何も読めない。
私が映画館へ行く時は、よっぽど疲れている時である。心の弱っている時である。敗れてしまった時である。真っ暗いところに、こっそり坐って、誰にも顔を見られない。少し、ホッとするのである。そんな時だから、どんな映画でも、骨身にしみる。
日本の映画は、そんな敗者の心を目標にして作られているのではないかとさえ思われる。野望を捨てよ。小さい、つつましい家庭にこそ仕合せがありますよ。お金持ちには、お金持ちの暗い不幸があるのです。あきらめなさい。と教えている。世の敗者たるもの、この優しい慰めに接して、泣かじと欲するも得ざる也。いい事だか、悪い事だか、私にもわからない。
観衆たるの資格。第一に無邪気でなければいけない。荒唐無稽を信じなければいけない。大河内伝次郎は、必ず試合に勝たなければいけない。或る教養深い婦人は、「大谷日出夫という役者は、たのもしくていいわ。あの人が出て来ると、なんだか安心ですの。決して負けることがないのです。芸術映画は、退屈です。」と言って笑った。美しい意見である。利巧ぶったら、損をする。
映画と、小説とは、まるでちがうものだ。国技館のすもうを見物して、まじめくさり、「何事も、芸の極致は同じであります。」などという感慨をもらす馬鹿な作家。
何事も、生活感情は同じであります、というならば、少しは穏当である。
ことさらに、映画と小説をいわゆる「極致」に於いて同視せずともよい。また、ことさらに独自性をわめき散らし、排除し合うのも、どうかしている。医者と坊主だって、路で逢えば互いに敬礼するではないか。
これからの映画は、必ずしも「敗者の糧」を目標にして作るような事は無いかも知れぬ。けれども観衆の大半は、ひょっとしたら、やっぱり侘びしい人たちばかりなのではあるまいか。日劇を、ぐるりと取り巻いている入場者の長蛇の列を見ると、私は、ひどく重い気持になるのである。「映画でも見ようか。」この言葉には、やはり無気力な、敗者の溜息がひそんでいるように、私には思われてならない。
弱者への慰めのテエマが、まだ当分は、映画の底に、くすぶるのではあるまいか。
『弱者の糧』 太宰 治
底本:「もの思う葦」新潮文庫、新潮社
1980(昭和55)年9月25日発行
1998(平成10)年10月15日39刷
心に、刻む。
奮い立たせる。
この映画館で映画を観ながら
微笑みが自然とこぼれ、そして、涙がひとつぶでも頬を伝うようであるならば
たとえ、月日がどれだけ無慈悲に流れていってしまうものだとしても
そしていま、時代がどれほど荒んでしまっているのだとしても
まだ大丈夫。
希望はあるのです。
(チャールズ・チャップリン;「キッド」1921年)
シネマまえばしさんのHPから知った素敵な台詞
ここの映画館のコンセプトもとても素敵
愛情がひしひし伝わってくる
シネコンが悪いとは言わないけれど、こういうあたたかい映画館で映画を観れたら幸せ
コミュニティシネマという言葉が好き
ただ映画を観るだけの、消費目的の映画館より、その場から輪が出来るような空間になれば素敵だ
電車で、あの場所を通り過ぎるたび、思い出す。
昔の大切な思い出を思い出したので、そのことについて。
私は短大生の頃、映画研究部に入っていた。
当時はどちらかというと、作るより観ることが好きな人が多くて、あまり誰も映画を撮っていなかった。
でもやっぱりどうしても私は撮りたかった。
勢いは必要。
私はある日、脚本の構想が思い浮かんで、一晩かけて脚本を作り上げた。
短編だったから作れたのかもしれないけど、でもそれなりの枚数はあったはず。
そして、私はこの脚本を手にがむしゃらに進んだ。
日程や場所を決めたり、絵コンテを作ったり。
出演してくれる人やスタッフを集めたり、指示したり、いろんな人に協力してもらったり。
映像を切ったり、張り付けたり、音楽考えたり、テロップ入れたり。
本当に大変な作業ばかり。
今はもうそんなバイタリティないかもしれない。
まして、今までみんなをまとめることなんてしたことがなかった。
リーダーシップなんて微塵もないと思っていた。
それでもどうしてもこの作品を作りたい!
その思いだけで私は進んだ。
脚本作り上げたときの疲労感は半端ないし、いろんな人に頭下げて頼んだりしたし、編集は夜通しで何時間もかけて作業したけど、でも、それでもひとつも苦だとは思わなかった。
あの頃はすべての作業がただただ楽しかった。
どんな作品になるだろうって、ずっとわくわくしていた。
本当にやってよかったと思う。
これもいい仲間に巡り会えたおかげ。
ずっとずっと大切な思い出。
当時の後輩が、しばらく経って、また私の作品を観たいと言ってくれたときは本当にうれしかった。
この言葉は今もずっと心にあって、私を支えてくれている。
いつまで経ってもこの言葉は絶対に忘れない。
私もこの前、この自分の作品を観たけど、いいなぁって思った。
何の知識もなく作ったから、作りは酷いし、目茶苦茶だけど、あのシーンは本当に好き。
誰の真似でもなく、私の思うそのままが現れているシーン。
自分らしさって、きっとこのことなんだ!って思った。
この感覚はずっと大事にしたい。
映画を作ることに関わらず、この感覚で私は生きていきたい。
でも、できればまた作りたいな!
ポンヌフの恋人 Les Amants du Pont-Neuf
1991年/フランス
監督: レオス・カラックス
出演: ジュリエット・ビノシュ、ドニ・ラヴァン 他
Official cite
Story:
パリで一番古く美しい橋“ポンヌフ"で暮らす天涯孤独の青年アレックス(ドニ・ラヴァン)は、いつものごとく酒を飲みながら夜のパリを放浪していたが、車に片足を轢かれてしまう。そこに通りかかったのが、空軍大佐の娘でありながら、恋の痛手と生涯治る見込みのない目の病とで絶望的な放浪の毎日を送っている放浪中の女画学生ミシェル(ジュリエット・ビノシュ)。アレックスはミシェルの美しさに初めて恋を知り、ポンヌフ橋を仕切っている初老のホームレス、ハンスにこの家出娘のミシェルを置いてくれるように頼み込む。そして二人のホームレス生活が始まる。
ジュリアンというチェリストへの恋の未練と画家としての失明の恐怖を両手に抱えたミシェルと、他人との繋がりをあまりにも持たずに生きてきたアレックス−。二人は互いに絆を深め、革命200年祭の夜に華々しく打ち上げられる花火の下で恋におちる。だがしばらくして、両親の捜索願いから眼病の治療法が発見されたことを知り、ミシェルの心は揺れる…。
……
胸のあたりがキュッとする
痛い?
わからない
次第にズキズキしてくる
締めつけられてるみたいだ
感情よりも感覚に響く
そんな映画